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2013年3月の記事

風通し

先日、故障したプリンターにかわり
新人が到着しさっそく働いている。

故障したプリンターより
3年か4年フレッシュな新人は
驚くべき働きをし
「なんや!これ!
 すごいで、見てみ~」
とタンポポハウスの住民に
驚きと感動を与えている。

 
フレッシュな新人は
書類をページの最後からプリントアウトする。
「おい、おい、誰がこんな親切なこと考えてんや~」
プリンターから書類が出終わった時には
1枚目が一番上にのって
きちんとひと仕事終えている。
なんでもないようなひと手間を
お願いしていないのに理解してるなんてなんて賢い。

 
新人はプリントがでてくる出口のフタも
自分であける。
印刷ボタンを押したとたんに
「パタン!」
と、勝手に開いた。
「おおおおおおお!!!」
と、びっくり仰天していたら
「お前、知らんかったんか~。
 せやけどな、こいつ自分で開けよるけど
 自分で閉められへんねんで~。ひひひひイ~」
と、プリンターに勝ち誇ったように
タンポポさんは意地悪く笑った。
なるほど・・・・ネコと一緒らしい。
ネコは自分で戸をあけて出て行くが
その戸を閉めてはいかない。

 

「こんなことを一生懸命考える仕事があるんやなぁ。」
と、タンポポさんは「ひひひイ~」と意地悪いが
感心はしてるらしい。

 

そして、タンポポさんが「ひひひイ~」と笑ったのが
プリンターにばれた。
それだけ頭がよくて賢いらしい。

 
こんな表示がパソコンにでてきた。


「俺は絶対切ってない、してないぞ。
 切ってないぞ~、知らんぞほんまに。
 絶対してないからな~。」
とタンポポさんはプリンターに叫んだが
新人は無言で意思表示した。

 

親切で賢い新人だが
タンポポさんに挑戦的な態度を表明した。

 

新人は旧人とタンポポハウスに新しい風を
吹き込んでいる。
風通しがいいことはとっても大切なことだ。

 
 

〖孫の案 採用!お名前 決定!〗

 

『左が「ももちゃん」 右の鼻筋が黒い方が「さくらちゃん」どちらも女の子』

『左が「ももちゃん」 右の鼻筋が黒い方が「さくらちゃん」どちらも女の子』

ボノ2の子ども2匹をボノ2とともに育犬して3ヶ月が過ぎます。
いろんな方にお声をかけさせていただいたのですが、
残念ながら貰ってくださる人が見つかりませんでした
(まだ諦めていませんようー。)
メールで「どん種類の犬ですか?」の問い合わせがあったり、
直々に訪れてくださったおばあちゃんは、
「私はほしいにのだけれど、じいさんがねえ~・・・
 犬を置いてわしらは逝けないものねえ~と言うんだわ~・・・
 可愛そうだから、やめれって。私はほしいんだけれどねえ~・・・。」

『先頭が「ボノⅡ」 次が「ももとさくら」 三番目が一応ボスらしい「タンタン」 最後が裏ボスの「プリン」大家族です』

『先頭が「ボノⅡ」 次が「ももとさくら」 三番目が一応ボスらしい「タンタン」 最後が裏ボスの「プリン」大家族です』

この子犬さんたちは、タンポポハウスで過ごす運命にあったのかもしれません。
だったらもう「あんた!こっちの犬! そっちの犬」ではかわいそうなので、命名を。
いろんな案がタンポポハウスでは出たのですが、どれもしっくりせず、
孫たちに携帯の写真を見せて聞いてみました。
すると、一番下の5歳の孫が写真を見るなり、即答。
「鼻に黒い線があるほうが、さくら。こっちの何にもないほうが、もも。」
タンポポハウスの4番目と5番目のお犬たちの名前がその瞬間に決定!。

『まだまだ雪深く 春遠いですが 犬達は雪山入り動物たちを追っかけています』

『まだまだタンポポハウスは雪深く 春遠しですが 犬達は雪山に入り 動物たちを追っかけています』

そういえばこの孫は出会っていないのですが、
21年前、私たちが北海道に移住して最初に飼った犬の名前が「もも」だったのです。
そしてそのころ、最初で最後になりましたが未熟児?の豚を育てました。
その子豚の名前が「さくら」だったのです。
これも「なにかの縁」でしょうか・・・。

事実としての2件

今日は川に片足はまった。
長くつもドボドボにぬれて
片足の冷えたこと・・・・。

 
春の川には近づくな!
これ決まりごとなのに。
知らない間に春が近くなっていたから。

 

今朝はニワトリ小屋の裏の川が
風情のある凍り方をしていた。
ご覧のとおり
犬も見学に行くほどに。

「いい感じやなぁ。」
と思うと、
風情があるので
この氷をつつきたくなった。
川に下りる階段を1歩づつ下りていくと
最後の一段は階段ではなく
うっすら川につもった雪だった。
そして落ちちゃったわけ。

除雪前のタンポポハウスまえ道路

除雪前のタンポポハウスまえ道路

これが以外にも深くて
膝より深かった。
それで
「春やなぁ」
と思ったわけ。
増水してるってことは、
雪が溶けてるってこと。

除雪車が通ったあとのタンポポハウスまえ道路

除雪車が通ったあとのタンポポハウスまえ道路

今日は確かにマイナスには感じない
湿った風が吹いている。
裏の川にはまったという
信じられない事実の他に
ついでにもう1件。
左の手のひらに水ぶくれ2箇所。
湯たんぽでの低温ヤケド。
足ではなく手。
それも、手のひら。
夜中になにやってるねんと情けない。
何もやらなかったからヤケドしたらしいけど。

 

関係ないような2つの事実。
「まぬけ」という共通項が感じられる。

〖あわじやのマーちゃん〗


マーちゃんは私より三つ歳上の先輩で、小さな食堂の店主。
野球好きで店先でよくバットの素振りをしていた。
「大・大のトラキチ」で、ナイターの季節になると店のテレビの前に、
阪神フアンだけが群がっていた。

 

1985年だったか、一番真弓・3番バース・4番掛布・5番・岡田の
ダイナマイト打線が爆発し、日本一になった。
マーちゃんと付き合って10年ほどのことだった。

 

その日の「祝賀会」は尋常な騒ぎではなかったと記憶している。
今もきっとお店の天井には、「ビール・日本酒・ジュース・そしてケチャップ・マヨネーズ」の
痕跡があると思う。

 

夕方に始まり明け方近くまで飲み騒いだ祝賀会に、不思議と近隣からの苦情は一切なかった。。
当時ジャイアンツファンだった私は人生で一回だけだが「六甲颪」を強制的に歌わされた。
20数人の参加者の中で、他球団ファンは私ひとりだったが、マーちゃんはわざわざ私を呼んでくれた。
その夜は家に帰れない時間となり、マーちゃんの子ども部屋のこどもの段ベッドで泊めてもらい翌朝出勤した。

 

昼飯はもちろんあわじやマーちゃんところで食べた。
部活の指導が終わればあわじやマーちゃんところに直行した。
飲んでは語り、語っては飲んだ。
食堂が夕方からあわじや酒場に変った。
当時若かりし新米教師達の交流の場でもあった。
マーちゃんはそんな教師達の愚痴や悩みを辛抱強く聞いてくれた。

 

終電車が過ぎても帰らない私に、
『ゆっくり飲もうや。おれも一杯やるわ。今日も泊まっていきや。』と寝床を用意してくれた。
10本指では数えられないぐらい泊めてもらった。
風呂もいただいたし、朝起きるとおばあちゃんが「茶粥」をよくご馳走してくれた。

 

私が十二指腸潰瘍した時、
『そんな気のせいや。ストレスは気やで。いつものようにしっかり酒飲みや!』と、
特性の料理や特別の酒を出してくれ飲み続けた。
お陰で直った時、近所の常連客を集め、快気祝いをしてくれた。
今でもやっぱり潰瘍は気のせいだったと思っている。

 
親友だった同僚のN先生が、路上で出会ったという「お勤め帰りで背中に彫り物」のある若者を、
あわじやに突然連れてきても、びっくりもせず彼に食事を提供し、泊まらせてくれた。

あのお勤め帰りの若者は、更生したのだろうか。

 

そのN先生とお店ですごい言い合いの喧嘩になった時、
『年上がしっかり年下を抱きしめんな、後輩はついて来んぞ!』と叱られた。
それ以来、N先生を今までより大切にし、付き合うようになった。

 

40歳になる前、退職を決意しかねて悩んでいた当時、
『顔が悪い。いつもの顔と違う。どないしたんや。エエ酒飲んでないな!』と心を見抜かれた。

 

あわじやのマーちゃんのことを思い出すと今でも懐かしさより、涙がこぼれる。
私の新米教師時代に、「教師になる前に、しっかり社会人なれ!」と教えてくれたマーちゃん。
部活動の生徒たちをいつも優しく励ましてくれ、クラブを心から応援してくれたマーちゃん。

 

北海道移住を決心した時、
『大丈夫や、あんたならできる。北海道行って命とられるわけやないし、また会える。そのうち嫁はんと遊びにいくさかい。』と、
21年前にもらった贈る言葉。
残念ながらもらった贈る言葉は実現しなかった。
あわじやのまーちゃんは、今年1月に早すぎる歳で世を去った。
いいかげんな私を育ててくれた、大切な恩人がひとりあちらに旅立った。

 
『マーちゃん!はやすぎやで。北海道来てくれる約束やったのに。N先生といまごろそっちで飲んでるんやろうなあ。
 マーちゃんにしてもらった親切、マーちゃんに教えてもろた人生、ちょっとでも恩返しできるように
 この世でもう少し頑張ります。そのうち俺も行くさかい。またそっちのあわじやで一杯飲ませてや。
 それから、特性のマーちゃんのちゃんぽんも食べさせてや。六甲颪、今度はいっしょに歌おうな。』と、冥福を祈った。
 

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