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2010年7月の記事

〖有難い畑の収穫物〗

「5年目のブルーベリーの木」

「5年目のブルーベリーの木」

ブルーベリーの収穫が順調だ。
大きな竹篭に毎日いっぱい収穫される。
ジャムづくりに相棒さんは大忙し。

 

今日はラッキョとニンニクの収穫。
孫の手を借りての収穫は楽しい。

「3歳の孫の手も」

「3歳の孫の手も」

ラッキョの苗は、隣町寿都町の農家(田中式健康体操実践者)から昨年頂いた。
十分に一年は食べていける量の収穫。

 

ニンニクは今年で5年目。
これも十分な量の収穫。
最初に苗を頂いたのは、仁木町の農家から。

「一年分のニンニク」

「一年分のニンニク」

あちらこちらの農家さんとのお付き合いができたおかげの収穫物。
そうそう、イチゴの苗も今年で3年。来年の苗も更新中。

 

タンポポハウスの畑は、北海道に移住して以来出会った人たちから
頂いた宝物でいっぱいだ。

〖小さな助っ人たち〗

「ネコの手より助かりました」

「よく働く孫たち。私に似て?」

『薪運び手伝ったるわ。』と小学生の孫。
『ボクもボクも。』と3歳・5歳の孫。

 

夕食時、
『今日、薪運びしてくれて、じぃーじぃーほんま助かったわ。
 みんなにお金でお礼することにするわ。』

 

3歳の孫、
『お金、ふたつでええわ。』
5歳の孫、
『おれ、いつつでええわ。』
じぃーじぃーは、なんと合計70円も出した。

「三人でけっこう運んでくれました」

「三人でけっこう運んでくれました」

『S男は、いくらや。』と小学生の孫に。
『う・・・ん。』と思案。
昨日と今日の2日間、よく頑張ったS男。

 

『じぃーじぃー、おれ300円かなあ。』
『わかった。400円にするわ。』と甘い爺。

 

北海道によく来るこの孫は、私達の生活をよく見ている。
民宿の仕事やニワトリの飼育など。
田舎暮らしを自然やってのける。

「午前は川遊び、午後は薪運びの一日でした。今夜もぐっすりでしょう」

「午前は川遊び、午後は薪運びの一日でした。今夜もぐっすりでしょう」

薪運びをしている最中、
『じぃーじぃー、じぃーってやることいっぱいやなあ。』と
3歳児のびっくりする発言に心癒され、もう一分張りの夕方だった。

〖孫たちを歓迎するホタルたち〗

 

「じぃーじぃー、さかな来てくれへんねんと三歳児」

「じぃーじぃー、さかな来てくれへんねんと三歳児」

『じぃーじぃー、船で来たで!』と孫達が得意そうに話す。
敦賀から小樽、そして黒松内へのフェリーの旅。
『大丈夫か、子供たち?』と連絡すると
『大丈夫やで、船のお風呂、何回も入っているわ。いつものとおりや。』と娘。

 

飛行機あり、汽車あり、そして船ありの今までの北海道への旅。
残すところ、自家用車と徒歩だけ北海道へ。

 

彼らにとって、どれもこれも一生忘れられない素敵な旅。
『あのなあ、あのなあ、ふねおもしろかってんで、じぃーじぃー。』と
3歳になったばかりの北海道生まれの末っ子。

 

早速、川遊び。
この前は二人だった遊びが、今回は三人に。

「パパに買ってもらった仕掛けで、魚がかかったと大喜びの三人」

「パパに買ってもらった仕掛けで、魚がかかったと大喜びの三人」

綺麗な空気・綺麗な水・綺麗な空の黒松内の我が家。
孫たちを歓迎するかのように、タンポポハウスの周りに例年にないほど、
ホタルが舞い飛んでいた。

〖残された一日一日を一段と大切に〗

よく語り合い、よく歌い合い、よく笑い合いの一週間だった。
以前、BS日テレで放映されたタンポポハウスをこの目で確かめたいと
大阪からわざわざ北海道にこられたMさん。

朝5時起床、タンタンとプリンをお供の散歩は1時間ゆったりと。
夕方もタンポポハウス周辺を散歩。
「ほら、今日は一万歩越したよ。」と万歩計を見せてくれる。

元気の源は、よく食べてよく動くことだそうだ。
確かにしっかりと食事され、思いついたら行動が早い。
「明日は小樽の裕次郎記念館に行きます。」
「明後日は室蘭の地球岬を見てきます。」

それも、早朝からの行動。
帰宅も夜の10時を過ぎたこともあった。

そのMさんが今日帰阪した。
「完全に負けてしまったなあMさんに。この一週間で数ヶ月のエネルギーを
 取られたみたいや。」と私たち。
とにかく元気で行動力が満ち溢れていたMさんだった。

『 都会では味わえない空間の素晴らしさを、この一週間で充分に楽しませて
 頂きました。又の機会があれば、タンポポハウスご夫婦と娘さんと
 出逢いたい、会話を楽しみたい。そして短足の犬に二匹と散歩して、
 一時の贅沢を味わいたい気持ちです。
  そして、満点の星の夜空も待ってくれていることでしょう。ホタルも
 この空間の喜びを一段と増してくれることでしょう。
  大阪に帰っても百匹のニワトリがまぶたに残り、コケコッコウが一番に
 聞こえそうです。毎朝、ワラビを道端で摘み取った事。それをすぐに味噌汁に
 入れて頂いたあの味を最高の幸として、これからの毎日を一日一日を一段と
 大切に送りたいと思います。
  心からすべてに感謝です。ありがとうございました。』(Mさんの置手紙から)

『Mさん、貴重なお話の数々。ありがとうごございました。なぜかまた会えるような
 予感がします。ぜひ次回は素敵なボーイフレンドとごいっしょに訪れくださいね。』

Mさん81歳。女一人旅だった。

〖M先生との20数年ぶりの再会〗

M先生からお手紙が届く。
「札幌に用事があり、その用件がおわりしだいそちらに行く。」

M先生との出会いは、私が20歳代の時。
もう、40年近いお付き合いなのだが、20数年会っていない。
北海道に移住してからは、年賀状のみのお付き合いとなった。

大阪では有名な私立学校の校長職を最後に、教育現場を離れられた。
今は関西学生の球技競技の発展に関わっている。
穏やかな性格ではあったが、話す中身はいつも理路整然で単刀直入だった。
若い教師から慕われていた。
私のようないい加減な人間でも、同じ目線付き合ってくれた。

その夜は、互いの近況報告会に始終し、夜遅くまで続いた。
20数年ぶりの再会とは思えないほど、話は盛り上がった。

翌日、長万部駅までお送りした。
ホームに札幌行きの列車が到着した。
ドアーが開くと同時に、
「来てよかったよ。会えてよかったよ。よくここまでがんばったね。」と
言ってくれた。
そして、私の両手を力強く握りしめてくれた。

ドアーが閉まる寸前に、
「大阪に来るとき、連絡ください。また、会いましょう。」と、
優しく声をかけてくれた。
20数年ぶりの再会。
それも数時間だけの会話。
M先生の心の大きさと深さに、涙が出た。
私は、先生が乗る列車を消えるまで見送った。

M先生は私より一回り以上も先輩なのだ。
大阪から移住するとき、M先生から頂いた「励ましの手紙」は、
今も私の机の中で生きている。

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