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2009年3月の記事

『いい日、旅立ち。』

「10年間、ありがとう。」

「10年間、ありがとう。」

北海道に移住して以来、いろんな動物を飼った。
最初はブタを飼った。。
未熟ブタを育て、家の中で飼育した。
ブタはイヌほどの頭脳があった。
当時、小学2年生の息子と寝起きをともにしてた。
今は、いない。

 
ニワトリは、初期から飼っている。
最初は10羽ほどだったが、今は100羽近くいる。

 
ネコも飼った。
「生まれの?よい品種は、病弱で病院代がかかった。
私の父と母の名前をネコにつけたことがわかり、母にこっぴどく叱られた。
今は、いない。

 

羊も飼った。
「はなたれエリザベス」「さとべー」「ニット」「ウイール」などいた。
娘が育て、毛刈をして私のベストを作ってくれた。
今は、いない。

イヌは10数頭飼ったことになる。
どのイヌたちもタンポポハウスの環境に順応し、穏やかだった。
今は「ボノ」「タンタン」「プリン」の3頭。

 

そして、馬たち。
10数年間、飼い続けた。
昨日までいたが、今日からはいない。

『そろそろお二人さん、お嫁入りだってサ!』

「ありがとう、ユーユー。楽しかったよ。」

「ありがとう、ユーユー。楽しかったよ。」

「のんびり暮らせましたか。」

「のんびり暮らせましたか。」

 

「どこで咲いても、花は花。」

「どこで咲いても、花は花。」

「達者でな。」

「達者でな。」

お久しぶり、ぼくタンタンです。

ご主人こと、ヒゲオヤジが最近この歌を馬小屋でよく歌うんだ。
な~んか古臭い歌で、ぼくにはチンプンカンプンの歌です。
「お前らにはこの気持ち、わかるもんか。」と僕たちイヌに最近よく言うんだ。
その歌の歌詞だよこれ。

『藁にまみれてヨー 育てた栗毛
 今日は買われてヨー 町へゆく
  あゝオーラ オーラ 達者でナ
   あゝ オーラ オーラ 風邪引くな
    あゝ風邪引くな 離す手綱が
     ふるえ ふるえてる

 おーれが泣くときゃヨー お前も泣いて
 ともに走ったよ 丘の道
  あゝオーラ オーラ 達者でナ
   あゝ オーラ オーラ 忘れるな
    あゝ忘れるな 月に河原を
     おもい 思い出を

 町のお人はヨー よい人だろか
 変わる暮らしがヨー 気にかかる
  あゝオーラ オーラ 達者でナ
   あゝ オーラ オーラ また逢おな
    あゝまた逢おな        』

 
    題名『達者でな』
  歌手 三橋 美智也 
  1960年(昭和35年)の歌

ヒゲオヤジは、今日も「ユーユー」と「ピッピ」のたてがみを
何時もより念入りに梳かしているんだ。
「いよいよお嫁入りが近いんでないかい。」と僕は思うんだけど。

タンポポハウスで15年暮らしているボノ先輩いわく、
『ユーユーはまだ生まれたばかりの3ヶ月ぐらいで函館の恵山から来たんだ。
 親離れが早いかなあと思うぐらい小さかったよ。かれこれ10年ぐらいになるかなあ。
 黒松内のK・Oさんに大変お世話になったんだ。馬でいっぱい楽しませてもらったこと、
 ヒゲオヤジはK・Oさんにこころから感謝しているんだ。
 大阪時代、金魚しか飼ったことのないひげオヤジが、
 初めての大型動物を北海道で飼ったのが、馬のユーユーだったんだ。
 ユーユーは小さいときから気立てのいい馬だったよ。今もだけどね。』

『ピッピはとてもおてんばで、なかなかヒゲオヤジの言うことを聞かなかったんだ。
 赤い靴下のピッピから名前をもらったぐらい、自由奔放な性格の馬だった。
 ヒゲオヤジは、モンゴルでわざわざピッピの鞍まで買って帰ったのにね、残念だ。』

『ピッピの前には、牧場の「牧ちゃん」・息子の一字をとって「樹樹」もいたし、
 なんといっても「玉三郎」』のことは忘れられないね。
「北海道の共和町の案山子祭りの「ばんば」で優勝したものさ。
 騎手はヒゲオヤジの息子だったぞ。たしか、小学校の高学年の時だった。
 ばんば会場の人たちが、すごい大きな声と拍手で応援してくれたそうだ。』

ヒゲオヤジは今まで、5頭の馬を育てていたんだね。
どうして、馬を手放すのかとボノさんに聞いてみたら、
「タンポポハウスの諸事情」だって、ヒゲオヤジがさみしそうに言っていたそうだ。

最後に、タンポポハウスの動物たちを代表してボノ先輩よりお言葉を
いただきました。
『僕はイヌだけど、君たちは「ウマ」いくよ、きっとね。
 まあ、あのさみしいがりやのヒゲオヤジのことは、俺たちにまかせくれて大丈夫。
 ユーユーもピッピもくれぐれも「達者でな」。お互いに、いい人生を送ろうぜ。』

『バアーさんパワー、フル回転。』

「バアーバアーの尻スキー」

「バアーバアーの尻スキー」

「たのしかったねえ。バアーバアー。

「たのしかったねえ。バアーバアー。」

 

あっというまに、黒松内での一週間が過ぎた。
いよいよ、孫のお帰りが近づく。
「裏山で、スキーがしたい。」
「大きな、雪ダルマをつくりたい。」
やり残したあそびが、あれもこれも。

そこで『なんでもバアーさんドアー』の登場。
約2時間で孫の要求を叶える。
そこで60歳近い相棒の気力と体力は、『孫のためなら、エーンヤコラ!』と
バアーさんパワーフル回転。『しかし、、こんなエネルギーどこに貯めてるんやろか。』と尻滑りスキー?を
眺めて思ってしまう。。

「ああつめたかった。ほんまたのしかったわ」と部屋に入ってきた満足げな孫の顔。
充分に食べ・寝・遊び・甘えたタンポポハウスでの一週間。
「おれ、なんか大きくなったやろ。」と食べ過ぎの大きな腹を見せての自慢。

平穏なタンポポハウス戻るのだが、少し寂しくなる。

『そらいろこうげんできたよ。』

「先ずは、階段づくり」

「先ずは、階段づくり」

「そらいろこうげんの夜」

「そらいろこうげんの夜」

「エルマーとりゅうは、ゆうがたまでうつらうつらと、ねむってすごしました。
 ふたりとも、はやく『そらいろこうげん』へいきたくて、うずうずしていたのですが、
 エルマーがこういいました。」
 
これは、『エルマーと16ぴきのりゅう』にある『そらいろこうげん』のくだり。
長女から次女へ、そして長男へと読まれた本。その娘たちも、30歳をすぎた。
息子が最後に読んだのは、20数年前。

『バアーバアーとこに「エルマーと16ぴきのりゅう」の本ある?』と北海道に来る前に、
電話があった。早速、探してきた相棒。
『あるで三冊。あんたのおかあさんもカズボンも読んだ本やけど、タンポポハウスにあるで。
 セロテープだらけのぼろぼろやけどあるからね。』
黒松内に来てから毎晩読み聞かせ会の始まり。
私が得意とする読み聞かせの本のひとつだった。

今日は朝から、孫は相棒と『エルマーと16ぴきのりゅう』の世界へ。
『そらいろこうげんつくんねん。』と小さなスコップ片手に雪山を登ったり降りたり。
『そらいろこうげんにローソク立てようか。』と。
 途中、相棒と本を開きながら
『そらいろこうげんに池があるで。』
『そんなら、雪山につくらんならあかんなあ。』。
昼ご飯は、「そらいろこうげんのほらあな」の中で「かぼちゃだんご」を焼いて食べていた。

『ジイージイー、ろうそくたて手伝って。』
『しょうないなあ。えやろ、てつだったろか。』と、やっと爺の出番があった。

完成した昼過ぎからはかんじきをはいて、相棒と裏山へ恐竜探しの冒険に出かけた。
充分に体力を使い果たした孫は、夜布団に入るなりコテンと幸せそうに眠った。
 

『ほんま しんぞう とびでそうになってん。』

「バアーバアー、きたで!」

「バアーバアー、きたで!」

『函館空港天候不順のため、仙台もしくは札幌の空港に着陸する可能性がある』と
関西空港でアナウンスがあったそうだ。
仙台もしくは札幌に着陸した場合、子供を引き取る保護者がいないと無理だと言われた。
大阪の娘と航空会社との話し合いが長引き、孫が乗る便が10分遅れたそうだ。
係員も慌てたらしく、孫に持たせた大事な「ジジ・ババのお土産」は、空港に忘れされた。

そんな騒動の中、孫の一人旅が始まった。
昨晩、、
『飛行機のお姉さんに「富士山見えたら教えてください」って言うねんで。』と電話での
私の話どころでなかった孫の緊張ぶりが想像される。
予定より20分遅れの到着出口に、背中と手に荷物を持った孫が係員に連れられ出てきた。

『ようきたね。ドキドキしたか。』と嬉しそうに話しかける相棒。
『あのなあ、着陸するとき飛行機すっごいゆれてん。』
『びっくりしたやろ。』
『ほんま しんぞう とびだしそうになってん。もうあかんとおもってん。』
離陸寸前から着陸寸前まで、生きて6年の孫は人生始まって以来の貴重な体験をした。

『ねむたいんやったら、ねなさいよ。』と相棒。
『おれ、つかれてないねん。』と頑張る孫。
パパの話、弟たちの話、卒園の話、友の話、ヤモリの餌の話をしている間にスヤスヤ。
緊張が急に解けたのか、長万部までぐっすりと相棒の膝枕で眠ってしまった。

明日からは雪あそび、黒松内図書館での読書、ぶなセンターでのあそび、田中式健康体操など
大忙しのタンポポハウスの生活が始まる。が、

なんといっても、一番張り切っているのは相棒さんなんだなあ。

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