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ヒゲオヤジの独り言。

『湯婆(湯たんぽ)』

「このようなものが今も売られているのは、嬉しいですね」

「このようなものが今も売られているのは、嬉しいですね」

寝込んでしまった。
一日中体調不良。
腹痛、吐き気、めまい、微熱が続きうなされた。
その時、最近死んだ「ボノ」を思い出した。
新型インフルエンザかな・・・と思ったが、
直感的に違うと、根拠のない確信。

 

愛犬だったボノは、不調の時にしていたことがあった。
食事を取らずに寝床でじっと何日も静かにしていた。
水だけは飲んでいた。

 

絶食だ。

 

ボノを見習い私も試みた。
24時間の絶食。

 

うとうととした。
夢なのか、遠い遠い昔の我が家が現れた。
おんぼろ我が家の寒い冬。
母親が「コタツ(アンカのこと)」の準備をしている。
「炭団(たどん)」に火を入れている。
炭団を灰の入った瓦製の容器に入れ、焼き物で出来ている「行火炉」に納め、
布団の足元にもぐりこませる。

 

兄弟4人が我先にとコタツを探し、布団に潜り込む。
貧しかったが、幸せだった。

 

眠りから覚めると、相棒が「湯たんぽ」を運んでくれた。
湯たんぽも暖かかったが、相棒さんの気遣いがとても暖かかった。

 

「湯たんぽ」は「湯婆(tangpo)」とあった。
日本に入って「湯湯婆(ユタンポ)」と呼ぶそうだ。
「婆」は「妻」の意味。

 

「妻の変わりに抱いて暖を取るという意味」だそうだが、
私の相棒さんは、そこまでしてはくれなかった。

『今年はイタリアのスパークリングワイン』

毎年この時期、横浜からワインが届く。
いろんな国のワインなのだが、ボトルが変化に富んでいる。
今年はこんな色とかたちのボトル。

「さて、何方と飲みましょうか?」

「さて、何方と飲みましょうか?」

話せば長くなるのだが・・・話したい。
送り主は、きれいな女性。
たぶん今も知的で、きれいな女性のはず。
確か、九州福岡の生まれ。

 

出会いは、40年前。
そう、東京生活の青春時代。
世田谷の下宿をはじめて訪れたとき、
私は人生で初めて「ジャスミンティー」をご馳走になった。
今もはっきりとその味と匂いを思い出す。

 

彼女とはたった一年のお付き合いだった?
なんて綴るとどのように想像するのだろう。

 

ほんとうは・・・大学のサークルの3つ年上の先輩。
勉強家で努力家。活動的で理論派。そして、美人。
我がサークルの憧れの的、「姉さんマドンナ」だった。

 

後輩たちはその先輩の下宿をよく訪れ、お茶をご馳走になりながら
夜遅くまで「将来の夢」を語り合ったものだ。
私もそのひとりで、貧乏学生の私に夕食もご馳走してくれた。
あれから40年の月日が流れた。

 

18年前、私達の北海道移移住を知り、
それ以来なにかと応援してくれる。

 

「今年もお二人さん、元気で過ごしましたか。来年も互いに頑張ろうね。」と
素敵なワインが今年も届く。
ご恩を返すのは私のほうなのに。

 

何時かぜひ会いたいと思う、素敵なひとだ。

『以心伝心』

「お父さん、何か欲しいものない?デパートに寄るけど。」と相棒さんからの電話。
相棒さんは、函館にて土曜から泊り込みで体操の指導。

 

「別に欲しいもんないわ。」とすぐに電話を切る。
それから2時間後、突然欲しいものが浮かぶ。

 

すぐさま電話をしてみる。                                   

「今どこ?」
「今、汽車の中。」
「そうか・・・。」
「どないしたん?」
「別にええねん。」
「メール見た?」
「見てない。」

 

「メールに書いたけど・・・お父さんに『帽子』買って来てん。」
「ええ!!ホンマに!」
「きっと似合うとおもうわ・・・」

 

「大切にしまっっさ」

「選んだ人のセンスがいいねえ」

 

私が突然欲しいと思ったのは、『帽子』だったのだ。
さすが、私の相棒さんなのだ。『ありがとう。無くさんようにします。』

『モミガラ運び』

 

「機械でサイロに運ばれるモミガラ」

「機械でサイロに運ばれるモミガラ」

今日は朝から黒松内酪農家のTさんのお手伝い。
乳牛の「敷き藁」がわりに使うモミガラを隣町の米農家まで取りに行く作業。
タンポポハウスのニワトリ小屋の土間にも必要なので、
厚かましく4tダンプカー1台分を分けていただく。

 

これで1年分のモミガラを確保できる。
タンポポハウスにとってこのモミガラの重要なことは、
ニワトリの糞と混ぜることで「いい堆肥」をつくれることなのだ。
再来年の堆肥づくりがこれでできる。

 

モミガラ運びでもうひとつ楽しみの時間。
日ごろゆっくり語ることのできないTさんと会話。
ダンプカーの中でゆっくり延べ4時間、あれやこれやの話ができる。

 

「黒松内町も乳牛を飼う牛やさんも、14,5軒ぐらいになりました。」との話に、
すこし驚く。

 

私が黒松内町に移住したころは、40軒前後あったように思うのだが。
タンポポハウス所在地の歌才地区でも3軒あったが、今は牛の姿はない。

 

日本の農業の将来像が、小さなこの町でも見えないでいる。
小さな町ほど問題が凝縮しているように思える。
農業や漁業に従事している人たちの生活が大切にされる、
日本の将来であってほしいと思った一日だった。

「T牧場からみた歌才ぶな林の様子」

『秋深し とり小屋づくり もうあかん・・・?』

「15年目のニワトリ小屋は、老朽化」

「15年目のニワトリ小屋は、老朽化」

タンポポハウス第二次環境整備計画、見事に今年度は計画倒れ・・・となる。
「宿泊棟の屋根のペンキ塗り・外壁の塗装」「入り口の看板の移動」「U字溝の工事」「薪小屋造り」
そして「ニワトリ小屋造り」などなど・・・。

「馬小屋の跡を補強」

「馬小屋の跡を補強」

特に、馬小屋の跡の柱は根元が完全に腐敗。
来春までの応急処置に一週間もかかった。
『まあ第二次計画は60歳までだし・・・来年も必ず春が来ることだし・・・。」

「皮むきが終わったカラマツの木は来春まで、冬眠?」

「皮むきが終わったカラマツの木は来春まで、冬眠?」

「秋となり 言い訳ばかりの ヒゲオヤジ」てな感じ。

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